
「社員が辞めない会社は何が違うのか」
「給料を業界平均並みに上げた。それでも社員が辞めていく」
「いい人材ほど早く出ていく。何が足りていないのだろう」
「うちは『ブラック』ではないはずだ。でも『ホワイト』でもない気がする」
中小企業の経営者・人事責任者が抱える、典型的な悩みです。
この記事は、ハーズバーグの二要因理論の全体像を解説した記事「社員のやる気がない本当の原因」のうち、「衛生要因(労働条件)の整備」をもう一段踏み込んで掘り下げる位置づけです。「具体的にどこまで整えれば、人材は定着するのか」 という問いに、学術研究と実事例で答えます。
結論を先にお伝えします。
衛生要因を整えるとは、給料を上げることではありません。
15項目のうち過半数(8項目以上)の構造を整えた会社が、人材定着の分水嶺を超えます。
その根拠と、具体的な15項目チェックリスト、そして「給料を上げずに20年連続有給100%を実現した中小企業」六花亭製菓の事例を、これから解説します。
学術研究で見る「ホワイト企業の条件」── 林(2018)の4象限フレームワーク
中小企業57社を対象に、人事制度のサーベイ調査を行った実証研究があります。林(2018)「ホワイト企業の条件 ─ 57社からのデータの利用 ─」(※1)。
この研究は、企業を 衛生要因の高低 × 動機づけ要因の高低 で4象限に分類しました。
| 動機づけ要因 低 | 動機づけ要因 高 | |
|---|---|---|
| 衛生要因 高 | 健康優良企業 | ホワイト企業 |
| 衛生要因 低 | ブラック企業 | 人材輩出企業 |
それぞれの特徴は次の通りです。
- ブラック企業(衛生要因 低 × 動機づけ要因 低):労働環境も働きがいも提供できていない企業。離職率が最も高く、入社3年定着率は69.0%
- 健康優良企業(衛生要因 高 × 動機づけ要因 低):労働環境は整っているが、若手のやる気を引き出す仕組みが弱い企業。男性社員の勤続年数は最長
- 人材輩出企業(衛生要因 低 × 動機づけ要因 高):労働環境は厳しいが、責任ある仕事と成長機会が豊富な企業。入社3年定着率は83.6%と最高
- ホワイト企業(衛生要因 高 × 動機づけ要因 高):両方を高いレベルで整えた企業。女性社員の勤続年数が最長、3年定着率78.4%
人材定着の目線で見ると、離職率が最も低いのは「人材輩出企業」と「ホワイト企業」。両者に共通するのは「動機づけ要因が高い」点ですが、二要因理論の全体像を解説した記事でも触れた通り、動機づけ要因を活かす土台として衛生要因が必要です。本記事では、その「衛生要因を整える」が具体的にどういうことかを掘り下げます。

自社診断|衛生要因15項目セルフチェックリスト
林(2018)が衛生要因の水準を測定するために用いた15項目です。各項目が自社に当てはまるかどうか、ひとつずつ確認してみてください。

【労働時間関連】
- ☐ 年間有給休暇取得可能日数が 20日以上
- ☐ 有給休暇取得実績が社員1人あたり 年11日以上
- ☐ 正社員の1日平均実労働時間が 残業含めて9時間未満
- ☐ 時間外労働・長時間労働の削減への取り組みがある
【柔軟な働き方】
- ☐ フレックスタイム制度がある
- ☐ 短時間勤務の利用実績がある(制度だけでなく実際に使われている)
- ☐ 出産・育児退職者向けの再雇用制度がある
【職場の安全・健康】
- ☐ ハラスメントを防ぐための具体的な取り組みがある
- ☐ メンタルヘルスに関する取り組みがある
【育児・介護支援】
- ☐ 育児支援制度の利用実績がある
- ☐ 介護休業制度の利用実績がある
- ☐ 介護短時間勤務制度の利用実績がある
【組織のコミュニケーション・公正性】
- ☐ 社員アンケートを実施している
- ☐ 多様な人材活用の方針・実績を公開している
- ☐ 360度評価制度(上司だけでなく同僚・部下からも評価される仕組み)がある
採点の見方
林(2018)の研究では、これら15項目のうち 過半数(8項目以上) を整えている企業を「衛生要因が高い」と分類しています。
- 0〜7項目:衛生要因が低い状態。離職の根本原因がここにある可能性が高い。まず衛生要因の引き上げから始める
- 8〜11項目:分水嶺を超えて衛生要因が整いつつある。残り項目を埋めながら、動機づけ要因(ステージ2)にも着手
- 12〜15項目:衛生要因が十分整っている状態。離職を防ぐ土台はある。それでも離職が続く場合は動機づけ要因の不足を疑う
注意:これは絶対的な基準ではありません。業界や規模によって優先順位は変わります。ただし、「具体的に何を整えるか」のたたき台 として極めて有用です。

事例|六花亭製菓の20年 ── 給料を上げずに離職を止めた中小企業
「衛生要因を整える」とは、給料を上げることではありません。給料を上げずに、構造を作り直すこと です。それを20年以上にわたって実践してきた事例が、北海道の菓子メーカー 六花亭製菓 です(※2)。

きっかけは「ベテラン職人の離職事件」
同社はかつて、人気商品の生産に追われ、朝早くから夜遅くまで残業が続く時期がありました。疲れた従業員はストレスをため込み、ついには 腕のいいベテラン職人が心身のバランスを崩して辞めていった のだそうです。
二代目社長 小田豊氏は当時を振り返り、「人が何よりの財産」だと改めて実感したと語っています。働く人自身や家族のためにも、まず有給休暇をしっかりとってもらう── それ以来、同社の経営方針は大きく転換しました。
この経験は、ハーズバーグの二要因理論を地で行く事例です。衛生要因(労働条件)が不足すると、まず辞めていくのは 腕のいいベテラン。なぜなら、彼らこそ転職市場で評価されやすいからです。給料を上げる前に、まず労働条件を整えなければ、最も失いたくない人材から失う── これを身をもって体験した同社の選択が「衛生要因の圧倒的充実」だったわけです。
20年連続、全従業員が有給休暇100%取得
2009年取材時点で20年連続、全従業員(社員+パート約1,300人)が有給休暇を100%取得している── これは極めて稀有な数字です。1989年頃から継続している実績で、人材定着の根幹を支えています。
売り上げ目標を立てない(ノルマ禁止)
衛生要因へのこだわりは、組織全体のプレッシャー設計にも及びます。同社では 売り上げ目標を立てません。社長自身が「売り上げに興味はない」「右肩上がりで伸び続けるものではないから、目標を立てても絵に描いたもち」と語っているほどです。
数字に追われない代わりに、社員が大事にするのは「おいしいお菓子をつくる」という目的そのもの。営業ノルマがないことで、社員は短期的な数字のプレッシャーから解放され、職人としての本来の仕事に集中できます。
日刊社内新聞「六輪」── 1,300人の声を社長が毎朝読む
人を大切にする姿勢が制度化された代表例が、日刊社内新聞「六輪(ろくりん)」を365日休刊日なしで発行 している点です。1987年6月の創刊から2009年時点で 通算7,700号超。
紙面の中心は 「1日1情報」 と呼ばれる従業員の声欄。毎日約1,300人の社員・パートタイマーから600〜700通のメールが届き、社長自身が朝早くから2〜3時間かけて全てに目を通します。そのうち約120通を実名入りで掲載し、「六花亭談」という社長コラムも毎日執筆する、という運用です。
注目すべきは、社長や会社への批判的な意見も「六輪」に必ず載せる方針だということ。社員の声が経営に届くという実感そのものが、強力な衛生要因(人間関係・帰属感)になっている わけです。
「人事部がない」── 人事は社長の専管事項
さらに特徴的なのが、六花亭製菓には人事部が存在しない という点です。1,300人規模でありながら、組織の新設・統廃合・主要な人事はすべて社長が決定します。
その理由を小田社長はこう説明しています。「人事は劇薬である。だから人事の責任を取れるのは社長だけ」。新卒採用の会社説明会・面接にも社長が直接出る。本社には社長室がなく、30人ほどの社員が働く大部屋の隅っこに社長の席があります。
六花亭は15項目チェックで何項目クリアか
公開情報から推測されるところでは、六花亭製菓は15項目のうち少なくとも 「労働時間関連」4項目すべて、「組織のコミュニケーション」項目、「職場の安全・健康」項目 をクリアしています。8項目を大きく上回り、明確に「衛生要因高」のゾーンに位置すると判定できます。
重要なのは、これらを実現するために給料を上げたわけではない ということです。同社が変えたのは、ベテランを潰す働き方の構造そのものでした。
短期業績のパラドックス ── なぜ衛生要因に投資する経営者は少ないのか
ここで、林(2018)が示したもう一つの重要な発見を紹介します。
過去5年で業績が「増えた」と答えた割合は、実は ブラック企業が最も高く75.0%、ホワイト企業は最も低く66.7%でした。一見、「人にお金をかけない会社のほうが儲かっているじゃないか」と読めます。
ところが 5年後の業績展望は逆転 します。
| タイプ | 5年後「良くなる」割合 |
|---|---|
| 人材輩出企業 | 73.3% |
| 健康優良企業 | 55.6% |
| ホワイト企業 | 53.3% |
| ブラック企業 | 43.8%(最低) |
ブラック企業は「悪くなる」と答える割合が18.8%と最も高く、明るい展望を持てない状態にあります。
これは、ハーズバーグ理論をそのまま実証した結果です。短期的に従業員投資を削れば利益は出る。しかし続かない。

そして林(2018)の論文には、人材定着を考える経営者にとって決定的な一文があります。
「ホワイト企業はいわゆる『稼いでいるから従業員に投資している』企業ではない」
つまり、ホワイト企業(と人材定着の高い会社)は、業績が安定してから整えたわけではなく、業績にかかわらず「投資する」と決めた会社 なのです。六花亭が20年連続有給100%を続けてきたのも、まさにこの哲学の体現でした。
「うちは儲かっていないから衛生要因に手が回らない」という発想は、因果が逆だということになります。
自社が4象限のどこにいるか、次の一手は何か
15項目セルフチェックの結果に応じて、次の一手は変わります。

パターンA:8項目未満(衛生要因が低い状態)
最優先で衛生要因の整備から始めるべきです。
- まず 「有給休暇取得実績11日以上」 を狙う。制度はあるのに取得実績がない会社は多い。「経営者・管理職が率先して取る」「取得計画を1月に立てる」など、運用ルールから整える
- 「メンタルヘルス取り組み」「ハラスメント防止取り組み」 は、無料の外部相談窓口契約(産業医・EAP)から始められる
- 「社員アンケート」 は半年に1回、5問程度の簡単なものから始めれば実装コストはほぼゼロ
これらの「お金をかけずにできる衛生要因整備」だけでも、3項目クリアに前進できます。
パターンB:8〜11項目(分水嶺を超えた状態)
衛生要因の整備は方向性として正しい。あとは残り項目を埋めつつ、動機づけ要因の制度化(ステージ2) に着手するタイミングです。
二要因理論を詳しく解説した記事「社員のやる気がない本当の原因」で紹介した阿智精機の事例(技能育成シート、月1回技術会議、適材適所配置)が参考になります。
パターンC:12項目以上(衛生要因が十分整っている)
衛生要因の不足ではなく、動機づけ要因(達成・承認・責任・仕事自体)の不足が離職の原因である可能性が高い状態です。「給料は十分なのに辞めていく」が悩みなら、ジョブエンリッチメント(責任権限の委譲)を本格的に検討すべきです。
まとめ|社員が辞めない会社の作り方
- 中小企業の人材定着は 「給料を上げる」ではなく「構造を作り直す」 ことで実現する
- 林(2018)の15項目のうち 過半数(8項目以上) が衛生要因高の分水嶺
- ホワイト企業は 「稼いでいるから投資できる」のではなく「投資すると決めた」会社
- 六花亭製菓は給料を上げずに、有給100%・ノルマ禁止・社長との直通・日刊社内新聞という構造で 20年以上人材定着を実現
- 短期業績はブラック企業のほうが高いが、5年後展望は逆転する
- 自社の15項目クリア数に応じて、次の一手(衛生要因引き上げ/動機づけ要因の制度化)を決める
ハーズバーグ二要因理論の二段構え(衛生要因→動機づけ要因)の全体像は、社員のやる気がない本当の原因 で詳しく解説しています。本記事と合わせてご覧ください。
参考文献・出典
学術論文
- ※1 林 有珍(2018)「ホワイト企業の条件 ─ 57社からのデータの利用 ─」『現代ビジネス研究』第11号, pp.37-47, 山梨学院大学現代ビジネス研究会(CiNii Research経由、オープンアクセスPDF)
新聞記事(六花亭製菓事例の出典)
連載「人間発見」全5回(聞き手:編集委員 栩木誠)
- ※2 小田 豊「菓子は地域のバロメーター(1)〜(5)六花亭製菓社長小田豊氏(人間発見)」『日本経済新聞 夕刊』2009年6月22日〜26日連載
- (1)2009/06/22 ── 20年連続有給100%・売り上げ目標を立てない・ベテラン職人離職事件
- (2)2009/06/23 ── 大きな家族の幼少期・茶の道との出合い
- (3)2009/06/24 ── 1日1情報・日刊社内新聞「六輪」・人事部なし
- (4)2009/06/25 ── メセナ活動・中札内美術村
- (5)2009/06/26 ── お菓子づくりへの情熱・六花の森
連載「リージョナルチェーン経営」(編集委員 栩木誠)
- 「六花亭製菓社長小田豊氏(上)文化のバロメーター、北の大地に菓子の大輪。」『日経流通新聞』1999年3月2日 32ページ/「六花亭製菓社長小田豊氏(下)二代目の創業者魂──茶の心を経営に生かす。」『日経流通新聞』1999年3月4日 20ページ