コンステラ経営相談所
経営のヒント

社員が辞めない会社の15の衛生要因
中小企業の人材定着

給料を上げる以外に、社員の離職を止める施策はあるのか。賃上げ原資に限りがあっても打てる「衛生要因」の仕組みづくりはあります。中小企業57社を分析した実証研究と、「人が何よりの財産」を給料以外の4つの仕組みで実装し20年離職を止めた六花亭製菓の事例で、経営者・人事担当者・研修担当者向けに人材定着の分水嶺を解説します。

給料を上げても辞める/構造を整えれば止まる|8項目が人材定着の分水嶺

この記事の3つのポイント
  • 中小企業57社の調査では、短期業績は「ブラック企業」が最も高く、5年後の展望では最下位に逆転する
  • 賃上げ原資に限りがあっても、給料以外の仕組みづくりで人材定着は実現できる
  • 衛生要因(労働条件・関係性)が崩れていると、動機づけ要因は機能しない
  • 実証研究にもとづく15項目チェックで自社の衛生要因を自己診断できる。過半数(8項目以上)が分水嶺
  • 8項目未満なら衛生要因の引き上げから。8項目以上なら動機づけ要因の制度化へ進む

業績がいちばん伸びていたのはブラック企業だった

中小企業57社の人事制度を調べた実証研究(※1)に、経営者を戸惑わせる数字があります。過去5年で業績が「増えた」と答えた割合がいちばん高かったのは、労働環境も働きがいも整っていない「ブラック企業」で75.0%。労働環境と働きがいの両方を整えた「ホワイト企業」は66.7%で、4タイプ中の最下位でした。

人にお金をかけない会社のほうが、儲かっている。数字だけ見ればそう読めます。

ところが、5年後の業績見通しを尋ねると順位は逆転します。「良くなる」と答えたブラック企業は43.8%で最低、「悪くなる」は18.8%で最高。目先の決算で勝っていた会社が、自社の先行きにいちばん自信を持てずにいるのです。この逆転が何を意味するのかは、記事の後半でじっくり読み解きます。

先に、この記事の位置づけを示しておきます。ハーズバーグの二要因理論の全体像は「社員のやる気がない本当の原因」で解説しました。本記事はそのうち「衛生要因(労働条件)の整備」を一段深く掘り下げ、具体的にどこまで整えれば人材は定着するのかという問いに、学術研究と実事例で答えます。チェックリストは15項目、分水嶺は8項目です。

経営コンサルティングの現場では、「給料を業界平均まで上げたのに、辞める人が減らない」という相談に出会います。多くの場合、打ち手が足りないのではありません。打つ場所がずれています。本記事のチェックリストは、その「場所」を特定するための道具です。これは会社の規模を問わず、経営者や人事担当者が組織全体の診断や部門・事業所単位の人事制度点検に使えます。


ホワイト企業の条件とは何か
衛生要因×動機づけ要因の4象限

冒頭の研究は、中小企業57社への人事制度サーベイをもとに、企業を 衛生要因の高低 × 動機づけ要因の高低 で4象限に分類しました(※1)。

動機づけ要因 低 動機づけ要因 高
衛生要因 高 健康優良企業 ホワイト企業
衛生要因 低 ブラック企業 人材輩出企業

それぞれの特徴は次の通りです。

  • ブラック企業(衛生要因 低 × 動機づけ要因 低):労働環境も働きがいも提供できていない企業。離職率が最も高く、入社3年定着率は69.0%
  • 健康優良企業(衛生要因 高 × 動機づけ要因 低):労働環境は整っているが、若手のやる気を引き出す仕組みが弱い企業。男性社員の勤続年数は最長
  • 人材輩出企業(衛生要因 低 × 動機づけ要因 高):労働環境は厳しいが、責任ある仕事と成長機会が豊富な企業。入社3年定着率は83.6%と最高
  • ホワイト企業(衛生要因 高 × 動機づけ要因 高):両方を高いレベルで整えた企業。女性社員の勤続年数が最長、3年定着率78.4%

人材定着の目線で見ると、離職率が低いのは「人材輩出企業」と「ホワイト企業」。共通点は動機づけ要因の高さです。ただし、二要因理論の全体像を解説した記事でも触れた通り、動機づけ要因が力を発揮するには土台として衛生要因が要ります。本記事では、その「衛生要因を整える」が具体的にどういうことかを掘り下げます。大企業では部門やチーム単位で見ても同じ構造が動いており、階層別研修や人材開発を設計する人事担当者の仕事にも直結します。

衛生要因×動機づけ要因の4象限マップ


なぜ給料を上げても理念が浸透しないのか|衛生要因と動機づけ要因の順序

経営者がよく口にする期待があります。「経営理念を浸透させて、社員に共通の目標を持ってもらえば、定着率が上がるはずだ」。達成・承認・成長といった動機づけ要因(やりがい)が定着の本丸であること自体は、間違っていません。

問題は順序です。ハーズバーグの二要因理論が示すのは、動機づけ要因が機能するには、前提として衛生要因が一定程度満たされている必要があるという順序でした。そして給与は、この理論では典型的な衛生要因のひとつに位置づけられます。57社調査もブラック企業を「賃金を含め人材をマネジメントする基本的制度(時間管理、評価制度など)が整っておらず」(※1)と特徴づけており、賃金を衛生要因の構成要素として扱っています。

給与をすぐ上げられない会社は何を整えればいいのか
給与不満は「職場の雰囲気」で相当まで補える

沖縄のBPO企業(従業員451名、約9割が女性)で、社員が「自分の仕事に見合った給料か」をどう感じているかと、職場全体への満足の関係を社員アンケートで調べた調査があります(※3)。結果は、下の図のとおりです。

給与に不満でも、職場全体の満足を高めるのは給与より「職場の雰囲気」(約2倍)

給与に不満がある人は、納得感が高まると職場全体の満足もはっきり上がります。給与に満足している人は、さらに上げてもほとんど変わりません。ここまでは「給与は衛生要因」という通説どおりです。注目すべきはその先で、給与に不満がある人でさえ、職場全体の満足をいちばん強く左右していたのは「職場の雰囲気」で、その効き目は給与への納得感のおよそ2倍でした(論文も、給与不満の解消は職場満足につながるが、その効き目が飛び抜けて大きいわけではない、と慎重に述べています)。給与不満を放置していい話ではありません。ただ、「給与を上げる以外に手はない」わけでもないのです。

年代別に見ると、給与の効き目は30代で最も大きく、40代から下がり、45〜50代では30代の半分以下にとどまることも分かりました。結婚・出産・住宅購入が重なる30代には給与に直接ひびく打ち手を厚く、40〜50代には職場の雰囲気や人間関係で応える。原資が限られる会社にとって、これがいちばん効く配り方になります。

なお、給与の不満には2種類あります。「そもそも世間相場よりかなり低い」という不満は、後述する4つの中間策に加えて、全体の待遇を少しずつ底上げする必要があります。一方、金額は妥当でも「なぜ自分はこの給料なのか」が分からず不公平に感じる不満は、評価基準の見える化と昇給の道すじの提示で納得感を取り戻せます。この調査が見ていたのは、あくまで社員本人が給料に納得しているかどうかであって、金額そのものではありません。


自社診断|衛生要因15項目セルフチェックリスト

冒頭の実証研究が、衛生要因の水準を測定するために用いた15項目です(※1)。以下のチェックリストは、経営者向けには全社的な診断に、人事担当者向けには部門・拠点・グループ会社単位での制度設計の点検に使えます。各項目が自社(または自部門)に当てはまるか、ひとつずつ確認してみてください。

衛生要因15項目セルフチェックパネル|5カテゴリで一望、8/15が分水嶺

【労働時間関連】

長時間労働や取れない休暇は、ハーズバーグのいう「作業条件」そのもの。不足すれば真っ先に不満として表に出る、衛生要因の中核です。

  • ☐ 年間有給休暇取得可能日数が 20日以上
  • ☐ 有給休暇取得実績が社員1人あたり 年11日以上
  • ☐ 正社員の1日平均実労働時間が 残業含めて9時間未満
  • ☐ 時間外労働・長時間労働の削減への取り組みがある

【柔軟な働き方】

フレックスや短時間勤務は「働きやすさのおまけ」ではなく、生活と仕事を両立できるかどうかという労働条件の一部です。両立できない職場は、それ自体が辞める理由になります。

  • ☐ フレックスタイム制度がある
  • ☐ 短時間勤務の利用実績がある(制度だけでなく実際に使われている)
  • ☐ 出産・育児退職者向けの再雇用制度がある

【職場の安全・健康】

心身の安全は労働条件の土台です。ここが崩れた職場では、他の何を整えても不満が消えません。

  • ☐ ハラスメントを防ぐための具体的な取り組みがある
  • ☐ メンタルヘルスに関する取り組みがある

【育児・介護支援】

家庭の事情で「続けたいのに辞めるしかない」を生む会社は、雇用の安定という衛生要因を欠いています。制度の有無ではなく利用実績まで見るのがポイントです。

  • ☐ 育児支援制度の利用実績がある
  • ☐ 介護休業制度の利用実績がある
  • ☐ 介護短時間勤務制度の利用実績がある

【組織のコミュニケーション・公正性】

上司・同僚との人間関係や、会社の方針・評価の公平さも、ハーズバーグの分類では衛生要因にあたります。声が届かない、評価が一方通行という状態は、それだけで不満の火種になります。

  • ☐ 社員アンケートを実施している
  • ☐ 多様な人材活用の方針・実績を公開している
  • ☐ 360度評価制度(上司だけでなく同僚・部下からも評価される仕組み)がある

採点の見方

この研究では、これら15項目のうち 過半数(8項目以上) を整えている企業・部門を「衛生要因が高い」と分類しています。

  • 0〜7項目:衛生要因が低い状態。離職の根本原因がここにある可能性が高い。まず衛生要因の引き上げから始める
  • 8〜11項目:分水嶺を超えて衛生要因が整いつつある。残り項目を埋めながら、動機づけ要因(ステージ2)にも着手
  • 12〜15項目:衛生要因が十分整っている状態。離職を防ぐ土台はある。それでも離職が続く場合は動機づけ要因の不足を疑う

注意:これは絶対的な基準ではありません。業界や会社の規模・部門の成熟度によって優先順位は変わります。それでも「具体的に何を整えるか」のたたき台として、これほど使いやすいリストは多くありません。大企業が部門ごと・事業所ごとの人材定着を診断する際にも活用できます。

15項目チェック採点ゲージ|0-7/8-11/12-15の3ゾーンと分水嶺

結果が出たら、次の一手

8項目という分水嶺を境に、やるべきことが変わります。

  • 0〜7項目だった会社・部門:離職の根本原因は衛生要因にある可能性が高い状態です。どの項目から手を付けるか迷ったら、費用と手間の小さいものから数を積むのが定石です。具体的な並べ方は、後半の「診断結果別に、次に何をすべきか」で示します
  • 8項目以上だった会社・部門:分水嶺は超えています。残りの項目を埋めながら、次のステージである動機づけ要因(達成・承認・責任・仕事自体)の制度化に進んでください。二段構えの全体像は「社員のやる気がない本当の原因」で解説しています

事例|六花亭製菓の20年
「人が何よりの財産」を構造に実装した中小企業

賃上げ原資には限りがあります。「衛生要因を整える」とは、給料を上げる打ち手だけに頼ることではなく、給料以外の打ち手で構造を作り直すことでもあります。

北海道の菓子メーカー六花亭製菓の小田豊社長は、日経新聞「人間発見」連載のなかで、経営哲学をこう語っています(※2)。

「働く人が心身ともに健康でなければ、おいしいお菓子はつくれない」
「ものづくりは人が生命線で最大の財産」
「会社は大家族なようなもの」

この「人が何よりの財産」という哲学を、賃上げではなく4つの仕組みづくりで20年以上にわたって実装し続けてきたのが同社です。

六花亭製菓の構造改革タイムライン|給料以外の仕組みづくりで20年連続有給100%を実現した4つの打ち手

きっかけは「ベテラン職人の離職事件」

同社はかつて、人気商品の生産に追われ、朝早くから夜遅くまで残業が続く時期がありました。疲れた従業員はストレスをため込み、ついには腕のいいベテラン職人が心身のバランスを崩して辞めていったのだそうです。

二代目社長の小田豊氏は当時を振り返り、「人が何よりの財産」だと改めて実感したと語っています。働く人自身や家族のためにも、まず有給休暇をしっかりとってもらう。それ以来、同社の経営方針は大きく転換しました。

ハーズバーグの理論を地で行く経験です。衛生要因(労働条件)が不足すると、まず辞めていくのは腕のいいベテラン。彼らこそ転職市場で評価されやすいからです。給料を上げる前に労働条件を整えなければ、最も失いたくない人材から失う。これを身をもって体験した同社の選択が、衛生要因の圧倒的な充実でした。

20年連続、全従業員が有給休暇100%取得

2009年取材時点で20年連続、全従業員(社員+パート約1,300人)が有給休暇を100%取得している。これは極めて稀有な数字です。1989年頃から継続している実績で、人材定着の根幹を支えています。

売り上げ目標を立てない(ノルマ禁止)

衛生要因へのこだわりは、組織全体のプレッシャー設計にも及びます。同社では売り上げ目標を立てません。社長自身が「売り上げに興味はない」「右肩上がりで伸び続けるものではないから、目標を立てても絵に描いたもち」と語っているほどです。

数字に追われない代わりに、社員が大事にするのは「おいしいお菓子をつくる」という目的そのもの。営業ノルマがないことで、社員は短期的な数字のプレッシャーから解放され、職人としての本来の仕事に集中できます。

日刊社内新聞「六輪」
1,300人の声を社長が毎朝読む

人を大切にする姿勢が制度化された代表例が、日刊社内新聞「六輪(ろくりん)」を365日休刊日なしで発行している点です。1987年6月の創刊から2009年時点で通算7,700号超。

紙面の中心は「1日1情報」と呼ばれる従業員の声欄です。毎日約1,300人の社員・パートタイマーから600〜700通のメールが届き、社長自身が朝早くから2〜3時間かけて全てに目を通します。そのうち約120通を実名入りで掲載し、「六花亭談」という社長コラムも毎日執筆する、という運用です。

注目すべきは、社長や会社への批判的な意見も「六輪」に必ず載せる方針だということ。社員の声が経営に届くという実感そのものが、強力な衛生要因(人間関係・帰属感)になっています。

「人事部がない」
人事は社長の専管事項

さらに特徴的なのが、六花亭製菓には人事部が存在しないという点です。1,300人規模でありながら、組織の新設・統廃合・主要な人事はすべて社長が決定します。

その理由を小田社長はこう説明しています。「人事は劇薬である。だから人事の責任を取れるのは社長だけ」。新卒採用の会社説明会・面接にも社長が直接出る。本社には社長室がなく、30人ほどの社員が働く大部屋の隅っこに社長の席があります。

六花亭は15項目チェックで何項目クリアか

公開情報から推測されるところでは、六花亭製菓は15項目のうち少なくとも「労働時間関連」4項目すべて、「組織のコミュニケーション」項目、「職場の安全・健康」項目をクリアしています。8項目を大きく上回り、明確に「衛生要因高」のゾーンに位置すると判定できます。

重要なのは、これらは賃上げ原資を投下した施策ではなく、給料以外の打ち手による仕組みづくりだということです。同社が変えたのは、ベテランを潰す働き方の構造そのものでした。

ここで「給料を上げない」は「給料を軽視する」と同義ではない点を補足しておきます。公開情報の範囲では、六花亭製菓が低賃金で運営してきたという記述は確認できません。同社が拒否したのは賃金そのものではなく、「給料を上げれば離職は止まる」という短絡策の方でした。給与水準を「絶対に上げない」と公言しているわけではなく、定着の打ち手として給与上昇だけを選ばなかった、という選択の話です。

自社では何から始めるか|手間と費用の小さい順に

六花亭の打ち手をそのまま移植する必要はありません。一般論として、15項目の施策は手間と費用でおおむね三つに分けられます。

  • 決めればすぐ始められるもの(費用ほぼゼロ):社員アンケートの実施、時間外労働削減の方針づくり、多様な人材活用方針の公開
  • 費用は小さいが、時間のかかるもの:有給取得実績(年11日以上)や短時間勤務・育児支援の利用実績。「実績」は数字が積み上がるまで時間がかかるため、早く始めるほど有利です
  • 制度設計に手間がかかるもの:フレックスタイム、再雇用制度、360度評価

迷ったら、上から順に。最初の一歩が小さいほど、長く続きます。


なぜ衛生要因に投資する経営者は少ないのか|短期業績のパラドックス

冒頭の数字に戻ります。過去5年で業績が「増えた」と答えた割合は、ブラック企業が75.0%で最も高く、ホワイト企業は66.7%で最も低い。一見、人にお金をかけない会社のほうが儲かっているように読めます。

5年後の業績展望では、順位が逆転します。

タイプ 5年後「良くなる」割合
人材輩出企業 73.3%
健康優良企業 55.6%
ホワイト企業 53.3%
ブラック企業 43.8%(最低)

ブラック企業は「悪くなる」と答える割合も18.8%と最も高く、明るい展望を持てない状態にあります。

短期業績パラドックス|過去5年と5年後展望は逆転する

なぜ逆転するのか。この調査は4タイプと業績の関係を示したもので、逆転の因果までを特定したわけではありません。ただ、調査結果はこう読み解けます。人への投資を抑えれば、人件費が浮き、目先の利益は出ます。決算書だけ見れば順調です。その裏で不満は静かに積もり、転職市場で評価される人から順に辞めていく。採用と引き継ぎに追われ、残った社員に負荷が寄り、仕事の質が落ちる。顧客対応が粗くなれば、注文も少しずつ細っていきます。気づいたときには、5年後を「良くなる」と言える材料が手元にない。短期の利益と引き換えに、未来の稼ぐ力を先に使ってしまった状態です。

そして同じ論文には、人材定着を考える経営者にとって決定的な一文があります(※1)。

「ホワイト企業はいわゆる『稼いでいるから従業員に投資している』企業ではない」

ホワイト企業(と人材定着の高い会社)は、業績が安定してから整えた会社ではありません。業績にかかわらず「投資する」と決めた会社です。六花亭が20年連続有給100%を続けてきたのも、まさにこの哲学の体現でした。「うちは儲かっていないから衛生要因に手が回らない」という発想は、因果が逆だということになります。


給与をすぐ上げられないなら何ができるか|4つの中間策

賃上げの原資をいますぐ用意するのは、多くの中小企業にとって現実的ではありません。ここで効いてくるのが、先ほどの調査の視点です。社員が見ているのは「仕事に見合った給料か」という納得感であって、納得感は月給そのものを上げなくても動かせます。次の4つは、いずれも月給の額を変えずに、給与への納得感・将来の見通し・手取りの実質的な増加を底上げする打ち手です。

大事なのは、これをより効果の大きい「職場の雰囲気」づくりとセットで進めること。どれも「業績が出てから考える話」ではなく、いま決める話です。

① 評価基準の明文化と昇給ロードマップの提示

中小企業の現場では、評価基準が経営者の頭の中にしかなく、社員からは昇給が「社長の気分次第」に見えている、という場面によく出会います。給与への不満は、金額の高い低いだけでなく、「なぜ自分はこの給料なのか」「いつ・何を満たせば上がるのか」が見えないことからも生まれます。

打ち手は、等級ごとの必要スキル・給与テーブル・3〜5年でどう上がるかのイメージを1枚にまとめ、全社員に見せること。費用も手間もほぼかからないのに、「ここにいれば先が見える」という安心感は賃上げに匹敵する効果を持ちます。15項目チェックの「社員アンケート」「360度評価」とあわせれば、納得感と公平感を同時に高められます。

② 決算賞与の制度化(業績連動の利益分配)

固定費としての賃金を増やせなくても、黒字決算時に粗利の数%を決算賞与として還元する制度は組めます。「会社が稼げば社員も稼ぐ」が見えるかたちになり、業績にかかわらず人に投資するという姿勢を年次でコミットできます。

ここで効くのが、給与は「不満をなくす」だけでなく「やる気を引き出す」側にもなりうるという視点です。古くからの実証研究やハーズバーグ自身が指摘するとおり、給与は衛生要因にも動機づけ要因にもなりえます(※4)。決算賞与のように「成果を出したから分けられる」かたちで渡せば、それは達成と承認の手応えの印になります(社員のやる気がない本当の原因 で詳説)。ルール(粗利の何%か、全員で分けるか役職で重みをつけるか)は先に文書にしておくこと。給与の効き目が大きい30代が多い職場では、決算賞与や住宅・家族手当をこの層に厚めに配ると、限られた原資がいちばん効きます。

③ 福利厚生のピンポイント拡充

通勤手当の全額支給、住宅補助、慶弔金、健康診断オプション、確定拠出年金のマッチング拠出、社内預金・財形貯蓄の利息上乗せ。これらは月あたり数千〜2万円ほど手取りを実質的に増やす打ち手で、月給を上げるより固定費の負担を抑えながら、「仕事に見合った給料か」という納得感を直接高められます。社員のニーズが高い1〜2項目にしぼって手厚くするのがコツです。

④ 給与以外の経済的支援

資格取得補助、書籍購入補助、外部研修参加費の全額負担、適切なルールのもとでの副業解禁。これらは「会社が自分のキャリアに投資してくれている」という明確なメッセージになり、目先の給与への不満を長い目で見た期待でやわらげます。57社調査が確認したのは、女性活用やワーク・ライフ・バランスへの投資は、いまや近い将来の業績を約束するものではないのに、業績の良し悪しと関係なく徹底して取り組む会社が一定数あるという事実でした。これも、業績が出てから始める話ではないのです。


診断結果別に、次に何をすべきか

パターンA/B/C|15項目チェック結果ごとの次の一手フローチャート

15項目セルフチェックの結果ごとに、優先順位は変わります。

  • 0〜7項目(衛生要因が低い):最優先で衛生要因の整備から。「有給休暇取得実績11日以上」(経営者・管理職が率先して取得し、取得計画を1月に立てる)、「メンタルヘルス・ハラスメント防止」(社員が無料で相談できる外部窓口を契約する:産業医や専門カウンセラー)、「社員アンケート」(半年に1回・5問程度)。これだけでも大きな費用をかけずに3項目前進できます
  • 8〜11項目(分水嶺を超えた):残り項目を埋めつつ、動機づけ要因の制度化(ステージ2)に着手するタイミング。「社員のやる気がない本当の原因」で紹介した阿智精機の事例(技能育成シート、月1回の技術会議、適材適所配置)が参考になります。階層を問わず「達成・承認・責任」を体験させる場として 戦略MG(マネジメントゲーム)研修(仕組みは 戦略MG研修とは で解説)も検討に値します
  • 12項目以上(衛生要因が十分):「給料は十分なのに辞めていく」が悩みなら、原因は動機づけ要因(達成・承認・責任・仕事自体)の不足。ジョブエンリッチメント(責任権限の委譲)を本格的に検討する段階です

まとめ|社員が辞めない会社の作り方

  • 短期業績はブラック企業が最も高く、5年後の展望では最下位に逆転する
  • 賃上げ原資に限りがあっても、給料以外の仕組みづくりで人材定着は実現できる
  • 15項目のうち 過半数(8項目以上) が衛生要因高の分水嶺
  • ホワイト企業は「稼いでいるから投資できる」のではなく「投資すると決めた」会社
  • 六花亭製菓は「人が何よりの財産」という哲学を、給料以外の4つの仕組み(有給100%・ノルマ禁止・日刊社内新聞・人事は社長の専管)で20年以上実装し続けている
  • 診断結果に応じて、衛生要因の引き上げか、動機づけ要因の制度化かを決める

ハーズバーグ二要因理論の二段構え(衛生要因→動機づけ要因)の全体像は、社員のやる気がない本当の原因 で詳しく解説しています。本記事と合わせてご覧ください。

すでに8項目以上を整えている会社にとって、次の課題は衛生要因ではなく動機づけ要因です。社員が経営者の立場に立ち、達成・承認・責任を丸ごと体験する場として、戦略MG(マネジメントゲーム)研修 という選択肢があります。講師が全国に出張する現地開催型の研修で、若手の登用前研修にも幹部育成にも組み込めます。


よくある質問(FAQ)

衛生要因について、経営者・人事担当者の方からいただくことが多い質問をまとめました。

Q1. 衛生要因とは何ですか?具体例も教えてください

A. 衛生要因とは、不足すると不満を生むが、充実させても満足には直結しない要素のことです(ハーズバーグの二要因理論)。具体例は給料・賞与、労働時間や休日などの労働条件、福利厚生、会社の方針や制度、上司や同僚との人間関係、雇用の安定です。本記事では中小企業57社の実証研究にもとづく15項目で自己診断できます。

Q2. 給料を上げずに社員の離職を止めることはできますか?

A. できます。賃上げ原資が乏しい会社ほど、人材定着の決め手は給料を上げることではありません。調査では、給与に不満がある人でさえ職場全体の満足を最も強く左右していたのは「職場の雰囲気」で、その効き目は給与への納得感のおよそ2倍でした。評価基準の明文化、決算賞与の制度化、福利厚生のピンポイント拡充、給与以外の経済的支援という、月給を変えない4つの中間策が打てます。

Q3. 衛生要因は何項目整えれば人材定着の分水嶺を超えますか?

A. この実証研究では、15項目のうち過半数(8項目以上)を整えている企業を「衛生要因が高い」と分類しています。0〜7項目は離職の根本原因がここにある可能性が高く、まず衛生要因の引き上げから着手します。8項目以上で分水嶺を超え、動機づけ要因の制度化にも着手するタイミングになります。

Q4. 衛生要因と動機づけ要因は、どちらを先に整えるべきですか?

A. 衛生要因が先です。動機づけ要因(達成・承認・責任・仕事自体)が機能するには、その前提として衛生要因が一定程度満たされている必要があります。衛生要因が崩れたまま理念ややりがいを語っても浸透しません。分水嶺を超えたら、階層を問わず達成・承認・責任を体験させる場として 戦略MG(マネジメントゲーム)研修 のように、動機づけ要因の制度化へ進みます。

Q5. 15項目のうち8項目を整えたのに、若手が辞めていきます。チェックリストが間違っているのでは?

A. チェックリストが測っているのは「不満による離職」の防ぎやすさです。衛生要因は、不足すると不満を生みますが、満たしても満足ややりがいまでは作りません(ハーズバーグの二要因理論)。8項目以上を整えた会社で若手が辞めていく場合、典型的なのは動機づけ要因(達成・承認・責任・仕事自体)が未着手のパターンです。やりがい不足の離職は、衛生要因をいくら積み増しても止まりません。打ち手は連載第2回「社員のやる気がない本当の原因」と第3回「中小企業の離職率が下がらない本当の原因」で解説しています。


参考文献・出典

学術論文

新聞記事(六花亭製菓事例の出典)

連載「人間発見」全5回(聞き手:編集委員 栩木誠)

  • ※2 小田 豊「菓子は地域のバロメーター(1)〜(5)六花亭製菓社長小田豊氏(人間発見)」『日本経済新聞 夕刊』2009年6月22日〜26日連載
    • (1)2009/06/22:20年連続有給100%・売り上げ目標を立てない・ベテラン職人離職事件
    • (2)2009/06/23:大きな家族の幼少期・茶の道との出合い
    • (3)2009/06/24:1日1情報・日刊社内新聞「六輪」・人事部なし
    • (4)2009/06/25:メセナ活動・中札内美術村
    • (5)2009/06/26:お菓子づくりへの情熱・六花の森

連載「リージョナルチェーン経営」(編集委員 栩木誠)

  • 「六花亭製菓社長小田豊氏(上)文化のバロメーター、北の大地に菓子の大輪。」『日経流通新聞』1999年3月2日 32ページ/「六花亭製菓社長小田豊氏(下)二代目の創業者魂──茶の心を経営に生かす。」『日経流通新聞』1999年3月4日 20ページ

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